# すべての認識的価値は真理の価値に由来するか? **谷川綜太郎**(千葉大学) https://sotanigawa.github.io/ 哲学若手研究者フォーラム研究発表(2023.7.16) ### 用語の導入 - まずは、タイトルの「由来する(派生する)」という言葉遣いについて説明する。 - 念頭に置いているのは、基本的価値/派生的価値という区別(Sosa 2007)である。 ### 用語の導入 - たとえば、美味しいコーヒーに価値があると考える人がたくさんいるため、われわれは美味しいコーヒーの生産を基本的価値とする評価の領域を生み出した。 - この評価の領域において、美味しいコーヒーを効率良く生産する施設には価値がある。これは、この評価の領域において、美味しいコーヒーの生産に価値があることのおかげである(=そこからの派生的価値である)。 ### 用語の導入 -
基本的価値
: 価値Vが評価の領域Dにおける基本的価値である iff VがDに関連する価値であり、そのことは他の何かがDに関連する価値であることのおかげ**でない**。 -
派生的価値
: 価値Vが評価の領域Dにおける派生的価値である iff VがDに関連する価値であり、そのことは他の何かがDに関連する価値であることのおかげ**である**。 ### テーマの説明 - 認識論=われわれの実践を認識的な観点から評価するために生み出された巨大な評価の領域(だと解釈できる)。 - では、この(認識論という)評価の領域における基本的価値は何か? これが本発表を動機付ける問いである。 ### テーマの説明 - この問いに対する20世紀後半の標準的立場は、真理の価値一元主義だと考えて間違いないと思われる。 -
真理の価値一元主義
: 認識論における基本的価値は真理の価値だけであるという立場。 ### 本発表について - **目標と方法**: 真理の価値一元主義を退け、多元主義を支持する。そのために、少なくとも理解の価値が真理の価値に由来しないことを示す。 - **内容**: - 真理の価値一元主義 - 多元主義へ向けて - 理解の価値 ## 真理の価値一元主義 - 基本的な考え方 - 知識の価値について - まとめ ### 基本的な考え方 - 真理の価値一元主義の考え方を示すためにしばしば引用されるのが、BonJour(1985)やGoldman(1986)。 - 彼らの立場を整理すると: - 認識的実践の究極的目標は真理である。 - したがって、認識論におけるあらゆる評価は、それがどれだけ真理を導くかという観点から行われる必要がある。 ### 基本的な考え方 - 「われわれの認知的努力の目標は明らかに*真理*である」(BonJour 1985) - 「中心的な認識論的評価概念は〔…〕その究極的な目標として真理を呼び出す。したがって、認識的な手順や過程、あるいは取り決めの評価は、客観的な評価基準である真理誘導性に訴えなければならない」(Goldman 1986) ### 基本的な考え方 - 認識的目標の定式化としておそらく最も有名な「真なる信念を最大化し、偽なる信念を最小化すること」(Alston 2005)という定式化も、真理の価値一元主義的な考えに基づいている。 ### 基本的な考え方 - しかし、認識論における基本的価値は真理ではなく知識ではないか? - 以下、真理の価値一元主義者がこの点をどう考えているかを明らかにする。 ### 知識の価値について - そもそも知識にはどのような価値があるか? - おそらく、われわれは知識に対して少なくとも二種類の価値があると考えている。それは、道具的価値と最終的価値である。 ### 知識の価値について -
道具的価値
: 対象Oに道具的価値がある iff Oがわれわれの欲求する対象を手に入れる手段であり、そのことにより価値を持つ。 - 例: 通貨、薬 -
最終的価値
: 対象Oに最終的価値がある iff O自体がわれわれの欲求する対象であり、そのことにより価値を持つ。 - 例: 健康、幸福 ### 知識の価値について - **知識の道具的価値**: (多くの場合)知識はわれわれの行為を成功させ、目的を達成する手段となるため価値がある。 - 例: 東京への行き方についての知識は、東京へ行くという行為を成功させ、目的(たとえば、大会に参加すること)を達成する手段となるため価値がある。 ### 知識の価値について - **知識の最終的価値**: (多くの場合)われわれが知識自体を欲求していることは明らかであるため価値がある。 - どうでも良い知識(たとえば、このスライドに出てくる数字の合計についての知識)や知りたくない知識(たとえば、恐ろしい出来事についての知識)もあるかもしれないが、今回はあまり考慮しない。 ### 知識の価値について - このように、知識には道具的価値や最終的価値があると考えることができる。 - しかし、真理の価値一元主義者によると、これらの価値は、いずれも真理(真なる信念)の価値に由来すると考えられる。それはなぜか? ### 知識の価値について - (道具的価値について)東京へ行くという行為を成功させるためには、東京への行き方についての**知識**を持っていなくても、東京への行き方についての**真なる信念**を持っていれば良い。 - (最終的価値について)われわれが欲求しているものは、結局のところ**知識**ではなく**真理**である、と言ったとしても差し支えないだろう。 ### 知識の価値について - このように、知識の価値は真理(真なる信念)の価値に由来すると考える理由がある。 - しかし、知識を正当化された真なる信念だと考えるなら、正当化の価値はどこへ行ったのか? ### 知識の価値について - 正当化は評価的概念なので、真理の価値一元主義の考え方からすると、真理からの派生的価値を持つに過ぎない。 - つまり、正当化は真理を得る手段としてのみ価値を持つ(BonJour 1985)。 ### 知識の価値について - 「正当化の基本的役割は真理への*手段*であり、〔…〕もし仮に認識的正当化が真理に結び付かないのなら、認識的正当化を得ることが真理を得る可能性を実質的に高めないのなら、認識的正当化は主要な認知的目標とは無関係であり、その価値は疑わしくなるだろう」(BonJour 1985) ### まとめ - 真理の価値一元主義では、真理が認識論における究極的目標であり、その他のものは、それがどれだけ真理を導くかという観点から評価される必要がある。(したがって、真理が認識論における唯一の基本的価値であり、その他のものは真理からの派生的価値を持つに過ぎない。) ### まとめ - 真理の価値一元主義を支持する強力な理由の一つは、われわれが知識の価値だと考えているものの多くは、真理(真なる信念)の価値として十分に説明可能である、という点にある。 - 次のセクションでは、真理の価値一元主義の代替として、多元主義をとる方法を考える。 ## 多元主義へ向けて - 多元主義とは? - 議論の選択肢 - 知識に基づく議論 - 知識に基づかない議論 - まとめ ### 多元主義とは? -
多元主義
: 認識論における基本的価値は複数存在するという立場。 - 近年は多元主義を支持する議論も増えている。 - 多元主義を支持するためには、どのような議論を選択できるか? ### 議論の選択肢 - **知識に基づく議論**: 知識(や、その構成要素)に着目し、その価値を認識論における基本的価値だと主張する。 - **知識に基づかない議論**: 知識(や、その構成要素)以外の何かに着目し、その価値を認識論における基本的価値だと主張する。 - 以下、順に確認する。 ### 知識に基づく議論 - **知識に基づく議論(1)**: メノン問題(プラトンの『メノン』における有名な問い)の直観的妥当性に訴える(Matheson 2011)。 - **知識に基づく議論(2)**: 新悪霊問題(オリジナルバージョンはLehrer and Cohen 1983で、信頼性主義批判に用いられている)に訴える(Madison 2017)。 ### 知識に基づく議論 -
メノン問題
: なぜ知識は真なる信念よりも価値があるか?(=なぜわれわれは真なる信念よりも知識を欲求するか?)という問題。 - 完全な知識理論はメノン問題に答える必要があると考えられている。 - しかし、真理の価値一元主義をとる限り、メノン問題にうまく答えられない。 - 詳しい論証はMatheson(2011)へ。 ### 知識に基づく議論 -
新悪霊問題(認識的価値バージョン)
: デカルトの悪霊、あるいは水槽の中の脳(BIV)状況を仮定する。主体Sは悪霊に欺かれているため(あるいは水槽の中の脳であるため)、外界についての知識を得ることができない。しかし、Sは自分に与えられた経験に照らして正しく推論し、正当化された信念を形成している。Sの信念は知識に満たないにもかかわらず、評価に値するものではないか? ### 知識に基づく議論 - 新悪霊問題の思考実験は、(知識に満たない)正当化された偽なる信念にも何らかの価値があることを示している。 - 同じ(悪霊に欺かれている)状況下で優れた認知能力を発揮する人とそうでない人を比較した場合、われわれは前者を評価するだろう(Sosa 2003)。 ### 知識に基づかない議論 - 以上、知識に基づく議論を簡単に見てきたが、知識の価値が真理の価値に由来しないことを示す、という方法に拘る必要はない。 - 認識論を、知識に限定されない様々な認知的成功を研究する分野、だと捉えるなら(Kvanvig 2005)、そのような認知的成功のうち、真理の価値に由来しない価値を持つものが(少なくとも一つ)存在する、と示せれば十分である。 ### 知識に基づかない議論 - 「認識論はしばしば知識の理論だと考えられているが、その概念は狭すぎる。〔…〕認識論はわれわれの認知的努力のある側面を研究するものである。特に、成功した認知を調査することが目的である。その範囲には、真なる信念や意見、〔…〕知識、理解、理論知、〔…〕などの様々な認知的成功が含まれている」(Kvanvig 2005) ### 知識に基づかない議論 - このように、(引用ではかなり省略したが、)クヴァンヴィグは多くの重要な認知的成功のリストを提示している。 - しかし、具体的にはどの認知的成功が、どのような(真理の価値に由来しない)価値を持つのか? ### 知識に基づかない議論 - クヴァンヴィグのリストに含まれているもののうち、現在、比較的議論が進んでいるものは「理解(understanding)」である。 - 本発表でも、理解に焦点を当てて、さらに議論を追跡する。 ### まとめ - 近年は多元主義を支持する議論も増えている。 - 議論は大きく分けて二種類ある。知識の価値に着目する議論(知識に基づく議論)と、知識の価値以外の価値に着目する議論(知識に基づかない議論)である。 - 本発表では、知識に基づかない議論として、理解の価値に焦点を当てる議論を追跡する。 - 次のセクションでは、理解の価値が真理の価値に由来しないことを示す。 ## 理解の価値 - 方針 - ザグゼブスキの見解 - クヴァンヴィグの見解 - 操作主義 - 説明主義 - まとめ ### 方針 - 理解の価値についてのザグゼブスキ(Zagzebski 2001)の見解とクヴァンヴィグ(Kvanvig 2003)の見解を基本的な参照点として、理解の価値が真理の価値に由来しないことを示す。 - 特に、知識と理解の違いに焦点を当てながら議論を進める。 ### ザグゼブスキの見解 - ザグゼブスキによると、理解の価値は、理解の性質である
透明性
(自分の理解についての反省的知識を伴うという性質)の価値に由来する。 - 「自分が知っていることを知らずに知ることは可能だが、自分が理解していることを理解せずに理解することは不可能である」(Zagzebski 2001) ### ザグゼブスキの見解 - **知識(不透明)と理解(透明)の違いの例**: - 実際にヒヨコの雌雄を鑑別できれば、ヒヨコの雌雄鑑別方法を知っていると言える。 - 実際にヒヨコの雌雄を鑑別できるだけでなく、自分がなぜ鑑別できるのかを知っていなければ、ヒヨコの雌雄鑑別方法を理解しているとは言えない。 - 鑑別根拠がわからず鑑別できるよりも、鑑別根拠がわかって鑑別できるほうが良い。 ### ザグゼブスキの見解 - このように、透明性の価値とは、「信じる理由にアクセスできる」という、内在主義者が追い求めてきた種類の価値である。 - 理解に着目することで、知識についての内在主義/外在主義論争を一旦保留して、このような(透明性の)価値を支持できる可能性がある。 - しかし、理解についても同様の(外在主義者からの)反論がある。 ### ザグゼブスキの見解 - **理解の透明性に対する反論**: 透明でない理解=動物的理解もある(Grimm 2016)。 -
動物的理解
: メタ認知能力を持たない(=反省的知識を持てない)乳児や動物などの存在者でも持てる種類の理解。 ### ザグゼブスキの見解 - 動物的理解の詳細と是非、および、理解についての内在主義と外在主義については、以前(谷川 2023)議論したので、そちらを参照されたい。 - 今回は、次に見るクヴァンヴィグの見解を中心的に議論する。 ### クヴァンヴィグの見解 - クヴァンヴィグは、知識と理解を次のように区別する。 - 知識と理解は、いずれも真なる信念を要求する(=
叙実性
)。 - 叙実性の条件を満たせば、知識の焦点は(信念と真理の間の)非偶然的関係に、理解の焦点は(信念と信念の間の)整合的関係をつかむことにある。 ### クヴァンヴィグの見解 - **知識と理解の比較**: - 関東地方の歴史を知っている iff 関東地方の歴史についての事実を非偶然的な仕方で(たとえば信頼できる本を参照するなどして)信じている。 - 関東地方の歴史を理解している iff 関東地方の歴史についての事実を信じており、かつ事実間の整合的関係をつかんでいる。 ### クヴァンヴィグの見解 - つまり、理解の構成要素は「真理を信じていること」と「信念間の整合的関係をつかんでいること」の二つであり、とりわけ後者が理解に特徴的な要素である。 - クヴァンヴィグは、理解の価値は主にこの二つの要素に由来すると考えており、前者は真理の価値に由来する価値だが、後者はそれを超えている、と続ける。 ### クヴァンヴィグの見解 - 「われわれはこうして、理解の価値についての次のような説明を得られる。真理を超えた、理解に関連する特徴的な要素は、整合的関係をつかんでいること、という観点から最もよく理解される」(Kvanvig 2003) - しかし、この特徴付けには疑問が残る。 ### クヴァンヴィグの見解 - **疑問(1)**: 「つかむ(grasp)」という心的行為は十分に特徴付けられているか? 特に、「信じる(believe)」とはどのように区別されるか? - **疑問(2)**: つかまれる対象は何か? 命題か、それとも他の何かか? ### クヴァンヴィグの見解 - たとえば、「信念間の関係をつかむ」ということが、「信念間の関係についての真なる命題を信じる」ということの言い換えなら、結局のところ、理解は真なる信念の集合に過ぎず、そこには真理を超えた価値もないだろう。 - したがって、そうではない、ということを説明する必要がある。 ### クヴァンヴィグの見解 - ここで利用可能な二つのアプローチ(Kelp 2015 の分類に基づく)がある。 -
操作主義
: 理解の中心的特徴を操作や推論に求める。 -
説明主義
: 理解の中心的特徴を説明に求める。 - 以下、それぞれの立場に沿って、クヴァンヴィグの説明をさらに洗練させることを試みる。 ### 操作主義 - 代表的な操作主義理論はURM(=表象操作可能性としての理解、Wilkenfeld 2013)である。 -
URM
: 文脈Cにおいて思考者Tが対象Oを理解している iff TがOの表象Rを持っており、Cにおいて顕著な反事実的状況において、Tがそれを修正してR′を作り出すことができる。ここで、R′はOの表象であり、R′を持つことで、(Cに関連する基準に従った)有効な推論や操作が可能になる。 ### 操作主義 - たとえば、一階述語論理の完全性の証明を理解している人は、その証明の表象を持っており、それを修正して別の表象を作り出すことができる。また、そのような表象を作り出すことで、証明の誤りを修正したり、他の論理の完全性を証明したりできる。 ### 操作主義 - URMの定式化はやや複雑だが、要点は、理解することで、対象に関する操作や推論が可能になる、という点にある。 - 操作や推論に重点を置く考えは、Grimm(2011, 2016)にも見られる。 ### 操作主義 - 「したがって、構造を「つかむこと」は、様相的な認識、ないし能力のようなものを発揮させるように思われる。それは、物事がどうなっているかを記録する能力だけでなく、システムのある要素が何らかの仕方で異なっていたときに、それが他の要素にどう作用するかを予測する能力である」(Grimm 2011) ### 操作主義 - このように、対象の構造をつかむことで、対象に関する操作や推論が可能になり、それによって、対象に関する予測や制御も可能になる。 - そして、われわれは実用的な観点から予測や制御に関心を持っている。つまり、「理解の特別な価値は、世界がどのように展開するのかを予測し、場合によっては制御することに対するわれわれの自然な関心に由来する」(Grimm 2016)。 ### 説明主義 - さて、理解は予測や制御だけでなく、説明とも密接な関係があるように思われる。 - つまり、理解するためには真理を信じるだけでなく、適切な説明をつかむ必要がある、という直観がある。 - しかし、ここでも懸念がある。「説明をつかむ」ということは、「説明的な命題を知る」ということと何が違うのか、という懸念である。 ### 説明主義 - 説明を持つことが知識を持つことではないと言える理由の一つは、適切な説明が必ずしも真ではない、という点にある。 - この点については、「適切な嘘」(Elgin 2007)という考えが参考になる。 ### 説明主義 -
適切な嘘
: それ自体は偽でありながら、事実の細部へのアクセスを可能にするもの。 - たとえば、実在する気体の振る舞いは、理想気体の状態方程式を用いるとうまく説明できる。しかし、理想気体なるものは現実に存在しないため、この方程式自体は偽である。 ### 説明主義 - 理解の叙実性や適切な嘘に関しては様々な議論がある。今回は省略するが、以前(谷川 2021)議論したものは参考になると思われる。ただし、そこでは2010年代以降の議論を追えていない。 - 説明の非事実性を支持する他の例として、今回は説明可能なAI=XAIという例も挙げておきたい。 ### 説明主義 -
XAI
: 近年は機械学習モデルを用いて対象を予測したり制御したりすることが増えている。そのようなモデルはしばしば人間が理解できないほど巨大な数のパラメーターを持っているが、それでも社会的にはアカウンタビリティを果たすことが求められている。そこで、人間に理解可能なレベルに落とした(厳密に言えば正確ではない)説明を生成する技術(=XAI)が開発されている。 ### 説明主義 - 以上のことからわかることは、われわれが説明を求める理由は、われわれが真理を求める理由からは独立している、ということである。(たとえそれが偽であったとしても、われわれは説明を求める。) - したがって、説明的関係をつかむことの価値は、説明を求めるわれわれの関心に由来し、それは真理の価値に由来しない。 ### まとめ - 理解概念は、真理の価値に由来しない認識的価値を考えるうえで、多くのヒントを与える。 - 具体的には、透明性の価値や、予測や制御、説明などに対するわれわれの関心(これらは真理に対するわれわれの関心とは異なる)に由来する価値がある。 - このような価値は、基本的な認識的価値としてカウントされるに値する(というのが今回の私の主張である)。 ### まとめ - なお、理解の価値についての議論は他にもある。今回扱わなかったもののうち、よく参照されるものは以下のとおり: - 理解の価値はそれが認知的達成であることに由来するという議論(Pritchard 2010)。 - 理解の価値は好奇心の充足に由来するという議論(Kvanvig 2013)。 ### 参考文献 - W. Alston. 2005. _Beyond Justification_. Cornell University Press. - L. BonJour. 1985. _The Structure of Empirical Knowledge_. Harvard University Press. - C. Elgin. 2007. Understanding and the Facts. _Philosophical Studies_ 132: 33–42. - A. Goldman. 1986. _Epistemology and Cognition_. Harvard University Press. - S. Grimm. 2011. Understanding. _The Routledge Companion to Epistemology_. Routledge. ### 参考文献 - S. Grimm. 2016. Understanding and Transparency. _Explaining Understanding_. Routledge. - C. Kelp. 2015. Understanding Phenomena. _Synthese_ 192.12: 3799–3816. - J. Kvanvig. 2003. The Value of Knowledge and the Pursuit of Understanding. _Cambridge University Press_. - J. Kvanvig. 2005. Truth is Not the Primary Epistemic Goal. _Contemporary Debates in Epistemology_. Blackwell. ### 参考文献 - J. Kvanvig. 2013. Curiosity and the Response-Dependent Special Value of Understanding. _Knowledge, Virtue and Action_. Routledge. - K. Lehrer and S. Cohen. 1983. Justification, Truth, and Coherence. _Synthese_ 55.2: 191–207. - B. Madison. 2017. Epistemic Value and the New Evil Demon. _Pacific Philosophical Quarterly_ 98.1: 89–107. - D. Matheson. 2011. How To Be an Epistemic Value Pluralist. _Dialogue_ 50.2: 391–405. ### 参考文献 - D. Pritchard. 2010. Knowledge and Understanding. _The Nature and Value of Knowledge_. Oxford University Press. - E. Sosa. 2003. The Place of Truth in Epistemology. _Intellectual Virtue_. Oxford University Press. - E. Sosa. 2007. _A Virtue Epistemology_. Oxford University Press. - D. Wilkenfeld. 2013. Understanding as Representation Manipulability. _Synthese_ 190.6: 997–1016. ### 参考文献 - L. Zagzebski. 2001. Recovering Understanding. _Knowledge, Truth, and Duty_. Oxford University Press. - 谷川綜太郎. 2021. 認識論における理解の叙実性について. 千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書 359: 40–49. - 谷川綜太郎. 2023. 理解についての内在主義と外在主義. 新進研究者 Research Notes 6: 28–34.