### 賢い人になる方法: 徳理論と帰結主義 谷川綜太郎(千葉大学) 2024年度哲学若手研究者フォーラム ### 発表者 谷川綜太郎(千葉大学・博士後期課程) https://sotanigawa.github.io/ - 専門は**認識論**。 - 最近は知識や理解、賢さ、好奇心などの概念を手がかりにして、認識的に価値のある状態について考えている。 - 経歴や業績は上のリンクから。 ### 発表の内容 - 賢い人(wise person)の条件を考える。 - 賢さについての**徳理論(virtue theory)**と**帰結主義(consequentialism)**に焦点を当てて、主に**実践的な賢さ**をめぐる解釈を検討する。 - 最終的に、徳理論を擁護し、帰結主義を批判する。 ### 背景 - 近年の認識論では、**知識の価値**に対する関心が高まっており、それに付随して、**他の認知的達成やその価値**にも焦点が当てられるようになっている。 - 知識(knowledge)の価値 - 理解(understanding)の価値 - 賢さ(wisdom)の価値 - 認識論における「**価値転回(value turn)**」(Riggs 2007) ### 背景 - これまでの認識論では、理解は知識と比較してあまり論じられてこなかったし、賢さはもっと論じられてこなかった。 - しかし、**われわれにとって最も重要なことは、単に知識や理解を手に入れることではなく、むしろ「賢く」なることではないか?** ### 背景 - 「精神がその主要な部分である⼈間は、真の栄養源である賢さ(wisdom)を探求することに主な関⼼を向けるべきである」(デカルト『哲学原理』/Whitcomb 2011 のエピグラフを借用) ### そもそも賢さとは? - 日本語で「賢い」というと多義的だが、今回は「wise」の意味を頼りに考えてほしい。 - bright / clever / intelligent / smart / wise - 賢さを帰属する例: - Aさんは賢い - AさんはBさんよりも賢い - Aさんは賢い哲学者である ### 賢さをめぐる学術的研究 - 賢さを学術的に研究してきた分野には、哲学や心理学、教育学、神学などが含まれる。 - 本発表では、**哲学における議論**に焦点を絞る。(他分野の状況については、最後に簡単に紹介する。) ### 賢さをめぐる哲学的研究 - 哲学における主要な理論は、Whitcomb(2011)やRyan(2023)で整理されている。 - その中でも、特に長い伝統を持つのが**徳理論**である。本発表では徳理論に焦点を当てたいので、まずはその源流である**アリストテレスの理論**を検討するところから始めたい。 ### アリストテレスの理論 - アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第6巻で、主に知的な徳について論じている。 - そこで論じられている徳の中に、**ソフィア**と**フロネシス**と呼ばれる徳がある。これらはそれぞれ「**理論的な賢さ(theoretical wisdom)**」と「**実践的な賢さ(practical wisdom)**」のようにも訳される。 ### アリストテレスの理論 - 「理論的に賢い人は、原理から導出される事柄を知っているだけでなく、元となる原理そのものについても真理を把握していなければならない。それゆえ、理論的な賢さとは知性(ヌース)と結びついた科学的知識(エピステーメー)であり、もっとも尊い事柄を対象とする、いわば「頭がついて完全になった科学的知識」であることになるだろう」(アリストテレス 2016: 1141a に基づき訳語を少し変更) ### アリストテレスの理論 - 「実践的に賢い人の特徴と考えられているのは、自分自身にとって善い、利益となるものについて、部分的にではなく立派に思案できることである。「部分的にではなく」とは、たとえば健康のためとか強靭さのためにどういったものが善いのかを思案するのではなく、人生**全体**として**善く生きるためには**どういったものが善いのかを思案するということである」(アリストテレス 2016: 1140a に基づき訳語を少し変更) ### アリストテレスの理論 - **ソフィア**: 物事の基本原理に対する合理的な直観(知性を通して把握された科学的知識) - **フロネシス**: 善く生きる方法についての知識や、正しい判断を下すための能力 --- - ソフィアとフロネシスが賢さを構成する … **二要素からなる(twofold)徳理論**(Whitcomb 2011 における呼称) ### アリストテレスの理論の問題点 - しかし、ウィットコム(Whitcomb 2011)は、理論的な賢さについてのアリストテレスの説明には問題があると指摘している。 - たとえば、人は明らかに物理学に関する**経験的知識を通して**理論的に賢くなることができる。したがって、人は**合理的な直観を通して**理論的に賢くなる、というアリストテレスの説明には問題がある(Whitcomb 2011: 100)。 ### アリストテレスの理論の問題点 - 確かに、現代のわれわれからすると、アリストテレスの理論にはやや古い部分があるように思われる。 - そこで、徳理論のより現代的なバージョンとして、**ザグゼブスキの理論**(Zagzebski 1996)を考えてみたい。 ### ザグゼブスキの理論 - ザグゼブスキは、これまで無視されてきた「理解(understanding)」と「**賢さ(wisdom)**」が特別な認識的価値を持つと指摘しており、また、これらは**徳**の観点から理解することが適切であると指摘している(Zagzebski 1996: 43ff.)。 - なお、ここでは、賢さを、**極めて包括的な認知的状態**のようなものとして特徴付けている。 ### ザグゼブスキの理論 - 「賢さの本性はとらえどころがないかもしれないが、それが何であれ、正当化や保証、確実性などの性質を持った信念の積み重ねとは質的に異なる認識的価値であることは明らかである。賢さとは、命題的信念の性質でもなければ、そのような信念間の関係でもない。それは、現実の全体をつかむことである」(Zagzebski 1996: 50) ### ザグゼブスキの理論 - 「賢さと理解は、それ自体が徳であると考えられることが多く、たとえそうでなかったとしても、それらが徳と密接に結び付いていることは明らかである」(Zagzebski 1996: 51) ### ザグゼブスキの理論 - ザグゼブスキは、極めて包括的な認知的状態である「賢さ」に加えて、「**フロネシス**」、すなわち「**実践的な賢さ(practical wisdom)**」の重要性も主張している(Zagzebski 1996: 211ff.)。 - ザグゼブスキの「フロネシス」は、アリストテレスの「フロネシス」を批判的に継承したものであり、やはり**徳**の観点から理解することが適切である。 ### ザグゼブスキの理論 - 「私は、フロネシスという徳、あるいは実践的な賢さを、道徳的な徳や知的な徳の全範囲を支配する高次の徳として考えるべきだ、と主張してきた」(Zagzebski 1996: 229) - このように、ザグゼブスキはフロネシスという徳にかなり特別な地位を与えているが、ここではあまり深入りしない。 ### ザグゼブスキの理論 - まとめると、ザグゼブスキは「賢さ(wisdom)」と「実践的な賢さ(practical wisdom)」を区別しており、これらはいずれも徳の観点から理解することが適切である。 - したがって、ザグゼブスキの理論もまた、**二要素からなる徳理論**に分類できる。(前者を「理論的な賢さ」と言い換えることもできるだろう。) ### ザグゼブスキの理論 - 理論的な賢さについてのザグゼブスキの説明は、アリストテレスの説明に対する先ほどの反論を回避しているという点で優れている。 - しかし、ウィットコムはやはり、徳理論全般に対して、**実践的な賢さについての説明に問題がある**と指摘している。 - ウィットコムの批判を理解するために、次の事例(Whitcomb 2011: 97f., 100f.)を考えてみたい。 ### 徳理論に対するウィットコムの批判 - 事例① ある人は善く生きる方法を知っているにもかかわらず、病気を治療するための薬の影響でうつ病を患っており、実際に善く生きられていない。 - 事例② メフィストフェレスは善く生きる方法を知っているにもかかわらず、実際にそのように生きていない。 - 事例③ ある人は善く生きる方法を知っているにもかかわらず、ヘロイン中毒に陥っており、実際に善く生きられていない(アクラシア)。 ### 徳理論に対するウィットコムの批判 - このような、善く生きる方法を知っているにもかかわらず、 様々な理由から**実際に善く生きられていない**人々が、実践的な賢さを失っているとは考えられない(Whitcomb 2011: 97)。 - しかし、徳理論の基本的な想定では、勇敢な人は勇敢に行動できる必要があるように、**賢い人は賢く行動できる必要がある**。そのため、徳理論の観点からは、これらの人々に賢さを帰属できない(Whitcomb 2011: 101)。 ### 徳理論に対するウィットコムの批判 - 「賢さについての徳理論的な説明では、実践的に賢いすべての人は、確実に賢く行動する必要がある。もし賢さが徳であるなら、賢い人が確実に賢く行動できないことは、勇敢な人が確実に勇敢に行動できないことと同じだからである。いずれの場合にも、そして一般的な徳の場合にも、徳を持つことはその徳に基づいて確実に行動することを保証する」(Whitcomb 2011: 101) ### 徳理論に対するウィットコムの批判 - こうした理由から、ウィットコムは(特に実践的な賢さについての)徳理論を退けている。 - しかし、ウィットコムは実践的な賢さ自体を否定しているわけではない。 - ここでウィットコムが提案している方法は、二要素からなる分析を継承しつつも、それを徳理論的に解釈するのではなく、**帰結主義**的に解釈する方法である … **二要素からなる帰結主義**。 ### ウィットコムの理論 - 帰結主義 … 賢さを、**認識的に良い帰結**の構成要素だと考える。たとえば、証拠の収集や、研究プログラムの設計、図書館の本の購入方針、教育カリキュラムの設計などは、それによって**どの程度認識的に良い帰結が得られるか**という観点から評価される(Whitcomb 2011: 101)。まさに、賢さはそのような帰結の一部である。 ### ウィットコムの理論 - 「この見解は、賢さの認識的価値をその帰結の中に位置付けようとする点で帰結主義的であるというより、むしろ賢さが認識的に良い帰結を部分的に構成していると考える点で帰結主義的である」(Whitcomb 2011: 101) - やや特殊な意味の「帰結主義」であることに注意が必要。 ### ウィットコムの理論 - こうした意味での帰結主義に基づいて、ウィットコムは次のような賢さの理論を提示している(Whitcomb: 101f.)。 --- - 理論的な賢さ: 深い理解 = 説明的**知識**の集合 - 実践的な賢さ: 善く生きる方法についての**知識** ### ウィットコムの理論 - ウィットコムの理論では、賢さとは**何を知っているか**の問題であり、**何ができるか**の問題ではない。(賢さはあくまでも**知識の一形態**として、認識的に良い帰結を構成する。) - したがって、**実際に賢く行動できていない人々にも、実践的な賢さを帰属できる**。 ### ウィットコムの議論の流れの整理 1. 実際に賢く行動できていないにもかかわらず、十分に賢いと思われている人々の例を挙げる。 1. 賢さについての徳理論では、上記の例を説明できないと主張する。 1. 代替として、賢さについての帰結主義的な理論を提示し、その理論では、上記の例を説明できると主張する。 ### これから発表者が行うこと 1. 賢さについての徳理論に対するウィットコムの批判は失敗していると指摘する。 1. 賢さについての帰結主義を批判する。 ### ウィットコムの批判に対する指摘① - 指摘① 病気などの要因によって有徳な行動を阻害されているだけの人には、有徳さを帰属して良いのではないか。 - 弓術の比喩を用いて考えてみたい。(しばしば、徳は弓術に喩えられる。たとえば、Sosa 2007: 22f.) ### ウィットコムの批判に対する指摘① - ある射手は優れた射手であり、安定して的を射ることができる。 - もし、この射手が病気の影響により的を射ることができなくなっていたとしても、この射手が優れた射手であることにかわりはない。(病気という、能力の発揮を阻害する要因がなければ、安定して的を射ることができただろう。) ### ウィットコムの批判に対する指摘① - ある人は有徳な人であり、安定して有徳に行動することができる。 - もし、この人が病気の影響により有徳に行動することができなくなっていたとしても、この人が有徳な人であることにかわりはない。(病気という、有徳さの発揮を阻害する要因がなければ、安定して有徳に行動することができただろう。) ### ウィットコムの批判に対する指摘① - このように、(1)有徳さを持っているにもかかわらず、何らかの要因によってその発揮を阻害されている人を、(2)そもそも有徳さを持っていない人、から区別すれば、前者は十分な有徳さを持っていると言えるのではないか。 - このように考えれば、病気の賢者の例は、徳理論に対する十分な反論にはならない。 ### ウィットコムの批判に対する指摘② - 指摘② 賢い人は賢く行動できる、という徳理論の想定を、ウィットコムは不適切に解釈しているのではないか。 ### ウィットコムの批判に対する指摘② - 勇敢な人は勇敢に行動できる … 勇敢な人は、その人の**勇敢さを示すように**行動できる。 - 賢い人は賢く行動できる … 賢い人は、その人の**賢さを示すように**行動できる。 --- - ここで示されるべき賢さには、その人の知識や理解、説明能力などが含まれる。したがって、それらを示すことができれば、その人は十分に賢さを示したと言えるだろう。 ### ウィットコムの批判に対する指摘② - たとえば、病気の影響により実際に善く生きられていない人でも、善く生きる方法についての知識や判断を提供することにより、自身の賢さを十分に示せるだろう。 - このように考えれば、病気の賢者の例は、徳理論に対する十分な反論にはならない。 ### ウィットコムの批判に対する指摘 - 指摘① 病気などの要因によって有徳な行動を阻害されているだけの人には、有徳さを帰属して良いのではないか。 - 指摘② 賢い人は賢く行動できる、という徳理論の想定を、ウィットコムは不適切に解釈しているのではないか。 --- - 以上の指摘に基づいて、徳理論に対するウィットコムの批判は失敗していると考える。 ### 帰結主義に対する批判 - 帰結主義では、賢さは認識的に良い帰結を構成する要素である。ウィットコムはその考えに基づいて、実践的な賢さも含めた賢さ全般を**知識**として解釈していた(… 実践的な賢さとは、正しい方法を**知っている**ことである)。 - しかし、この点に同意するなら、賢い人は、**われわれがしばしば賢い人に期待する役割を果たせなくなってしまう**だろう。 ### 帰結主義に対する批判 - たとえば、われわれはしばしば未知の状況に直面する。そのようなとき、われわれはそれに正しく対処しようとして、われわれの中で最も賢い人に、意見や判断を求めることがある。 - しかし、賢い人とはいえ、未知の状況に正しく対処する方法を**知っているわけではない**。したがって、われわれがここで賢い人に求めているものは、知識ではなく、この人であれば確実に正しく対処できる、という**能力**である。 ### 帰結主義に対する批判 - ザグゼブスキは、フロネシスの理論的必要性を説明している箇所の補足で、名探偵が登場する古典的な探偵小説の例を挙げている(Zagzebski 1996: 226f.)。 - そのような小説では、**証拠や推論の技法はあらかじめ共有されている**にもかかわらず、名探偵だけが正しい結論に辿り着く。すなわち、**方法についての知識には還元できない卓越した能力**が、名探偵を成功へと導いている。 ### 帰結主義に対する批判 - 名探偵の卓越した能力とは、重要な事実に気付く能力や、洞察力、良い説明を思い付く能力などである(Zagzebski 1996: 226)。 - これらの能力の特徴は、「**手続きに従う方法を学ぶことによって、それらを学ぶのではない**」(Zagzebski 1996: 227)、という点にある。そして、この点において、名探偵の能力とフロネシスはよく似ている。 ### 帰結主義に対する批判 - このように考えると、われわれが賢い人を頼りにしたり、しばしば憧れや尊敬を抱いたりする理由は、多くの場合、単に認識的に卓越している(多くの事実や方法を知っている)からではなく、**能力的**にも卓越しているからである。(この点において、賢い人の価値は、単に知識や理解を持っている人の価値を超えている。) - 以上の理由から、帰結主義では賢さの価値を完全に捉えることはできないと考える。 ### 結論 - 本発表では、賢さについての徳理論と帰結主義を検討してきた。 - 結論 … **賢さの実践的側面を説明するうえで、徳理論は帰結主義よりも有望である**。 ### 付録: 賢さをめぐる他の論点 - 賢さについてのほとんどの理論では、賢さには知識が伴うと考えられているが、Ryan(2012)の理論では、(知識に満たない)合理性で十分だと考えられている。 - 本発表で検討したすべての理論は、賢さを二つ(理論的な賢さと実践的な賢さ)に分ける方法を採用していた。しかし、この方法には賛否両論があり、Baehr(2012)などは賛成しているが、Grimm(2015)などは反対している。 ### 付録: 賢さをめぐる他の論点 - 認識論では以前から理解(understanding)が内在主義的な概念として注目されていたが、近年はそれに反対する議論も多い。代表的な反対者であるGrimm(2017)は、理解の内在主義に対する強力な批判を展開したあとで、**賢さこそが真に内在主義的な概念である**という可能性を示唆している(Grimm 2017: 226)。 - しかし、賢さの実践的側面を考慮すると、この考えは維持できないように思われる。 ### 付録: 賢さをめぐる他分野の状況 - 心理学では、1980年頃から賢さについての研究が増え始め、その後かなり盛んになったが、共通の定義は得られないまま進んできた(Dong et al. 2023: 778f.)。 - 2019年には様々な分野の研究者が一堂に会し、さしあたりの合意(Grossmann et al. 2020)が得られたが、これにも様々な反論が寄せられている(Dong et al. 2023: 779)。 ### 付録: 賢さをめぐる他分野の状況 - 最後に、賢さに関する興味深いモデルとして、情報学などで広く知られている**DIKW階層**というモデルを紹介しておきたい。 - DIKW階層とは、知識や賢さを階層的なものとして理解するモデルである(Rowley 2006)。 - **D**ata(データ) - **I**nformation(情報) - **K**nowledge(知識) - **W**isdom(賢さ) ### 付録: 賢さをめぐる他分野の状況 - DIKW階層の考え方では、データ→情報→知識→賢さの順に変換が進む。この考え方は、賢さこそが最も有用で、最終的な価値を持つ、という考え方とも相性が良いように思われる。 - なお、DIKW階層の出典とされるAckoff(1989)では、理解(understanding)も階層(知識と賢さの間)に含めているが、最近の研究者は含めない傾向がある(Rowley 2006: 166)。 ### 参考文献 - Russell Ackoff. (1989). From data to wisdom. _Journal of Applied Systems Analysis_, 16.1: 3–9. - Jason Baehr. (2012). Two types of wisdom. _Acta Analytica_, 27.2: 81–97. - Mengxi Dong et al. (2023). Thirty years of psychological wisdom research: what we know about the correlates of an ancient concept. _Perspectives on Psychological Science_, 18.4: 778–811. - Stephen Grimm. (2015). Wisdom. _Australasian Journal of Philosophy_ 93.1: 1–16. ### 参考文献 - Stephen Grimm. (2017). Understanding and transparency. In Stephen Grimm et al. (eds.), _Explaining Understanding_, Routledge. - Igor Grossmann et al. (2020). The science of wisdom in a polarized world: knowns and unknowns. _Psychological inquiry_ 31.2: 103–133. - Wayne Riggs. (2007). The value turn in epistemology. In Vincent Hendricks and Duncan Pritchard (eds.), _New Waves in Epistemology_, Palgrave-Macmillan. - Sharon Ryan. (2012). Wisdom, knowledge, and rationality. _Acta Analytica_, 27.2: 99–112. ### 参考文献 - Sharon Ryan. (2023). Wisdom. In Edward Zalta and Uri Nodelman (eds.), _The Stanford Encyclopedia of Philosophy_ (Fall 2023 Edition). - Jennifer Rowley. (2006). The wisdom hierarchy: representations of the DIKW hierarchy. _Journal of Information Science_, 33.2: 163–180. - Ernest Sosa. (2007). _A Virtue Epistemology_, Oxford University Press. - Dennis Whitcomb. (2011). Wisdom. In Sven Bernecker and Duncan Pritchard (eds.), _The Routledge Companion to Epistemology_, Routledge. ### 参考文献 - Linda Zagzebski. (1996). _Virtues of the Mind_, Cambridge University Press. - アリストテレス. (2016). ニコマコス倫理学 (下), 渡辺邦夫・立花幸司 (訳), 光文社古典新訳文庫.